記憶をとどめて
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江戸川から煙突の見える風景があった君の住む町からも もう煙突は見えないだろうね千住の煙突は人を焼く煙だったか強烈な臭いにくらくらしながら広い道を歩いていた
誰にでもある不安と混沌とどこにでもある美と醜と
立ち止ってあなたの美しさに 見とれてしまう
(06/01/08 東京町田市にて)
空気はこんなに冷たいのに頭上ではひかりが溢れる向こうから優しいものが飛んでくるような真冬の昼だ
カワセミには空芳醇な空
(05/12/17 鶴見川にて)
一日の始まりと一日の終わりに鳥たちも予定と結果を話すのだろう
あの山を超えると海が見えるだろう穏やかということ
正月の4、5日のことだ小学生になるかならないかの時姉二人とバスに乗って近くの町に行った階段を何回か登り、大きな空き地を横切るその空き地の土の色を思い出せる姉二人の賑やかな姿は覚えているがその先からの記憶はない何のために誰の家にわざわざ小さい私を連れて行ったのか
見上げるとなつかしい空がある姉の一人はもういない
王禅寺の空も少し晴れて時々の強い風に木の葉が舞うよ
(06/01/03 王禅寺西門そばにて)
久しぶりに雨が降った濡れた道光る葉
光を映す水のその上の
曇天の朝 2006年1月1日 午前7時25分君と僕と僕たちに関わる全ての人に 幸いが訪れますように
雲のない空にひっそりと いく年
この懐かしい景色は何だその暗がりから ひょっこり父が現れてつなげなかった手をのばしてくれたら
なんで学校じいさん と父に聞くと昔小学校で小使いさんをやっていたんだと小柄なじいさんで本当に本当に小さな借家に目の見えない奥さんと暮らしていた自分も含めて残酷な子どもたちは水汲みにきたそのばあさんに違う道を教えてからかった夏の午後だったか 庭で遊んでいたら学校じいさんが初めて家に訪ねて来た父と縁側で笑いながら話しているそれから 3,4日して学校じいさんが死んだと聞いた中学生になって 学校じいさんの奥さんが亡くなったと聞くふと思い出して あの日のことを話したら父も母も全く記憶にない死ぬ前に挨拶に来たのだろう死んで記憶にも残らない小さな存在 (寺家ふるさと村 05/12/09)
寺家のふるさと村の入り口にある小さな畑だ夏になる前から手入れがされていない足の悪いおじいさんが耕耘機で毎日来ていたが集中力も欠けてきたのかあるいはただ畑を荒れさせたくなかったのかまばらに作物が植えられていたそれでも雑草は生えていなかったな顔も首筋も積み重なった日焼けのせいか本当に真っ黒だった今でこそ贅沢な暮らしはしているがここら辺の昔の暮らしはきつかったんだろうと思う
日が昇る前の冬の朝
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